「さようなら…」と覚悟のメール ウクライナ人画家、悪夢の逃避行

真夏の夜空に花火のようなきれいな光を見た。それは爆弾だった――。ウクライナ人画家のニナ・ブチェバさん(44)はロシアによる祖国への侵攻が始まった3年前、身の危険を感じて故郷を飛び出した。「アーティストは殺されるかもしれない」。死と隣り合わせの逃避行の末、たどり着いた日本で再びキャンバスに向かっている。

ニナさんはウクライナ南東部出身。都市名を明かせないのは、残した家族に危険が及ぶ懸念があるからだ。

以前は首都キーウ(キエフ)の専門学校で英語教師をしていた。30歳を前に、子どもの頃からの夢だった画家を目指した。

 工場で働きながら独学で絵画の技法を学び、約10年前に故郷の街でアートスタジオを構えた。地域の人たちに絵を教えたり、自作を欧州の展覧会に出品したりするなど軌道に乗ってきていた。

「アートも標的にされる」

そんな中、2022年2月24日を境に生活の全てが一変した。ロシアによるウクライナ侵攻が始まったのだ。ニナさんは当初、楽観的だった。「侵攻と言っても、ロシアが何をするのか分からなかった」と振り返る。戦争になるとは、夢にも思っていなかった。

 しかし、数日後にはニナさんの街にも武器を持ったロシア兵がやって来た。政治家たちは集められ、司祭は捕らえられた。

ウクライナとその周辺国
ウクライナとその周辺国

その頃、ウクライナ東部に住む芸術家仲間の知人女性から連絡があった。

「逃げて」。露軍が国内の美術作品や歴史的建造物を多数破壊しているという。過去の戦争でも芸術家が狙われたと耳にしていた。

 「これからはアーティストも標的になる」。ニナさんは女性と一緒に国外に避難することを決めた。

病の母らを残し

気がかりだったのは、故郷に残らざるをえない高齢の両親だ。70代の母親はがんを患っていた。

「私は大丈夫だから行って」

母の言葉に背中を押されたニナさんは、涙をこらえながら絵の具や着替えを入れたバッグを持ってバスに乗った。夏にしては寒い夜だった。

道中、車窓から見るウクライナの街は破壊されていた。途中、バスの近くで砲撃が始まり、何度も爆音が響いた。夜空が光った。いつバスに命中してもおかしくなかった。脱出した乗客らは茂みに隠れて涙を流し、震えていた。

 ニナさんも死を覚悟した。合流を約束した女性に「さようなら」とメッセージを送った。

一夜明け、砲撃は止まった。出発から3日後、ニナさんは西部の街から女性と出国した。スロバキアに滞在後、22年9月に知人を頼って来日した。

命がけだった日本への避難について語るウクライナ人画家、ニナ・ブチェバさん=大阪市東住吉区で2025年2月21日午後1時47分、加古信志撮影
命がけだった日本への避難について語るウクライナ人画家、ニナ・ブチェバさん=大阪市東住吉区で2025年2月21日午後1時47分、加古信志撮影

祖国の面影重ねた大阪の光景

関西国際空港に到着した日の夜、宿泊先のある大阪府泉佐野市の浜辺を歩いた。波の音や匂い、海の近くに見える観覧車の景色がニナさんの故郷と重なった。

「日本は素晴らしい国。みんな礼儀正しくてとても親切」

現在、ニナさんは大阪市の集合住宅で暮らしながら、日本語学校に通う。その傍ら、創作活動も再開した。題材に選んだのは、故郷の面影を感じたあの浜辺の風景だった。

間もなく、大阪市で展覧会を開催する。ウクライナ人と日本人の芸術家17人が作品を持ち寄り、交流展という位置付けだ。ニナさんのほかに母国にいる生徒や友人ら11人の作品を展示する。

ニナさんは訴える。「作品を通じた交流が生まれることで平和の懸け橋にしたい。長い歴史の中で培われてきたウクライナの文化を絶やしたくない」。戦争に芸術は奪えない、そう信じている。

13日から交流展

交流展は3月13日から17日まで、大阪市東住吉区西今川4の「アトリエ観」で。入場無料。【面川美栄】

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